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pegawa's blog

昔 ピープルという ビデオレンタル屋がありました 都築さまより<a href=http://roadsidediaries.blogspot.com/2009/11/blog-post_11.html>ビデオ・スターの死</a>

レンタルビデオ物語 その12

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1984年。

晴れて大学生になった僕は、バイトを始めた。

お茶の葉の配達(銀座でカブに乗って、あの悪名高い豊田商事にも配達に行った)、

家庭教師(女子中学生の横でマンガ読みながら、

「法政はダサい」と罵倒されつづけるだけの簡単なお仕事)、

ピアニカ演芸、「マジック君とピアニカ君

新宿アルタ前で「お湯をかける少女工藤夕貴さんとイベント!

あと、大阪吉本、11PM。まあバイトというか、いわゆる営業)、

あとはこの頃たくさんあった、代理店関係のおいしい仕事

(クリスマスに新宿伊勢丹に集って、ワゴンを表に出すだけで、なんと一万円!!)、

などなど・・・・

いくつかバイト掛け持ちしてた中に

念願のビデオ屋さんが!

ちょうど「レンタルビデオ屋」と言う

新しい商売の形ができはじめた頃で、

僕は興味津々だったのだ。

まあ正直、やりたかったのは

ビデオアーティスト屋さんだったのだが、

そんなバイトがあるわけないのだった。

 

店があったのは立川で、

僕は大学生になったのをきっかけに

立川の隣駅の国立にアパートを借りて一人暮らしを

始めたところだったから、バイトに通うにはピッタリの条件だった。

 

レーザーディスクが出たばかりの頃で、

レンタルで貸出しもしてないのに

なぜかいっぱい店に置いてあった。

 

1984年当時はビデオの普及率も低く、まだまだ店は暇で、

一晩に客は2、3人ぐらい。

いつもやることがないので、

ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』のレーザーディスク観てた。

今思えばたぶん、アダルトが無かったのも暇だった理由なんだろうなあ~。

 

 

ちょっと余談になるけれど、『アメリカン・サイコ』という映画をご存知だろうか。

1980年代後半のヤッピーのライフスタイルがモデルになっているのだが、

 その中で主人公が『悪魔のいけにえ』のビデオテープをレンタルビデオ屋で借りるシーンがある。

それも、とてもお洒落な行為として。

当時、日本でも入会金3000円、1泊2日1500円、延滞料1日1000円のビデオレンタルは、

かなり高級な娯楽だったのである。

例えるなら、出張マッサージ? 我が家に映画館がやってくるのだから。

ビデオレンタルすることが、富の象徴みたいなとこもあった。

数万の延滞金払うのは当たり前?

まあ、立川ではそんなフトッパラなお客はいなかったけど。

悪魔のいけにえ』も置いてなかったし。

 

この年は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー

が公開されたんだよなあ~。『マトリックス』の元ネタ。

スカーフェイス』、『さらば箱舟』も。

しかし、独り暮らしを始めたばかりで、テレビも新聞も無い生活をしてたから

なにも知らなかった。雑誌も買わないし。

当然ビデオデッキも持ってない。

横道世之介』みたいな時代。

あっちはちょっと後、1987 年が舞台だけど。

しかも『横道世之介』は1K 風呂トイレ付き、

かたや僕は4畳半1間、トイレ・シャワー共同。

学校も同じ法政とは言え、彼は市ヶ谷、僕は1984年にできた多摩のめじろ台校舎。

 

この年にはザ・スターリン(対バンはP-MODEL、分裂ガガーリン)を観に

横浜国立大学に行った。

国立の一ツ橋大学でフールズ、有頂天を観たのもこの頃。

明けて1985年の1月15日には法政大学「LE NOUVEAU MONDE」 

(出演:アレルギー、メトロファルス、U-CO BAND、平沢進ユニット)

で、マイ成人式を迎えた。

ビデオデッキは1985年にやっと10万円ジャストの商品が出た。

当然、ハイファイではない。

そして当然、僕には買えなかった。

 

1年生の頃は、あまりバイトもしてなかったので、暇だった。

立川の店も辞めた。

というか、暇すぎて、おヒマを出された。

最後までレジの打ち方よく分からなかった。

オマケに店の名前も覚えてない・・・。

2階にあったような・・・・。

 

2年生になったころ

後輩にバイトを斡旋してもらった。

こちらが出した条件が

「重いもの持ちたくない」

「洗い物したくない」

「楽なほうがいい」

という虫のいいものだったが、それでもバイトがあるのがバブル前夜のこの時代。

 

で、新しくオープンするレンタルビデオ屋を紹介してもらった。

上北沢にあった「DUNE」という店だった。

砂の惑星』・・・・1984年の映画から拝借したっぽい。

ナウな名前だったのだろう。

 

僕はまだ国立に住んでいて、

上北沢でバイトをすると自分のアパートに帰るには終電に間に合わないので、

仕事を紹介してくれた後輩の家に居候を決め込んだ。

その後輩は幡ヶ谷のマンションにイトコとくらしていたのである。

学生が住むにはちょっと大きな間取りではあったが、だとしても、

考えてみれば、ものすごい迷惑なオハナシ。

 

そのマンションから店で支給されたスクーターで通勤。

ちなみにスクーターは当時流行ったDJ-1

スクーターの癖にけっこう早い!

幡ヶ谷の後輩のマンションから、

上北沢の「DUNE」まで行って、

昼12時に開けて、

14時間ビデオ屋営業、

深夜2時閉店して、

社長が待つ笹塚のスナックに行き、

売り上げを渡し、

ご飯を食べさせてもらったら、

もう午前3時。

後輩のマンションに帰り、シャワーを浴びて、寝て、

また11時ぐらいにおきて、上北沢「DUNE」。

 

デッキの普及率も上がってきたのか、

他のビデオ屋は結構繁盛してたようだったが、

「DUNE」は客商売的には不利な2階だったので

オープン当時は暇であった。

アダルトもあったので

ぼちぼち忙しくなっていったが。

そうそう、『悪魔のいけにえ』もちゃんと置いてあった!

 

陳列棚の後ろがかなり広かったので、

仕事が終わっても仲のいいバイトとそこでダラダラだべっていた。

相変わらず、ビデオデッキは持っていなかったので、

店のビデオソフトを借りて、家で観たりはできなかった。

一応、お店にモニターテレビなんかはあったが、

画面を店外に向けた仕様だったので、やはり鑑賞するのは難しかった。

だけどその後、他のバイトが持ってきた要らないテレビをカウンターの下に押し込んで、

やっとゆっくり観れるようになったのはうれしかったな。

 

私用の長電話よくしてたダメバイト。

当時は携帯電話なんか夢のまた夢!

国立のアパートの電話は最初、大家さんの呼び出しだった!

その後、大学の生協で買ってつけたけど。

アパートにほとんど帰らないので、留守番電話を奮発した。

カセットテープ2台使って、外出先からも付属の発信機を使って操作できる、

当時としては最新式!

うっかり発信機なくしてしまったので、その音を録音したテープをつくり、

小さいラジカセで操作したりした。

懐かしいなあ。今のヤングにはサッパリ解らないだろうが。

 

 

上北沢の店の一階は八百屋さんで、

僕は仕事しないで馬鹿話をよくしていた。

昔の話なので記憶があいまいであるが。

浮かれた時代だったなあ。

まあ、僕も若くてフワフワしていたし、

世間もバブル前夜で浮き足立っていた。

 

まあそんな感じで、僕のレンタルビデオ屋修行はスタートした。

そして、この「DUNE」の本店が、

のちに僕の人生の大きな部分を占めることになる、

笹塚のレンタルビデオ店「ピープル」だったのだ。