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pegawa's blog

昔 ピープルという ビデオレンタル屋がありました 都築さまより<a href=http://roadsidediaries.blogspot.com/2009/11/blog-post_11.html>ビデオ・スターの死</a>

バンドのこと 4

The Pop Group - Thief of fire - YouTube

高校三年生、と言う大事な時期。
その大事な時期に、
バンドだのビデオアートだのにウツツを抜かしていた僕は、
当然のように大学受験に失敗し、浪人生となった。
でも、ナゼか練習スタジオには通っていたのだった。
それも、地元府中じゃなくて、
わざわざ国分寺の「GOKサウンド」や「音楽館」まで、
バイクで20分かけて。

GOKサウンドは、当時、国分寺街道沿いにあった。
アメリカンスタイルの50ccのバイクでそこに通っていた僕は、
途中で豪快にこけた事もある。
その時、後ろにはエレクトロハーモニクス社のテルミンを積んでたのだが、
さいわい壊れなかった。
後に知ったのだが、
あそこは日本のインディーズ(当時は「自主盤」などと呼ばれていた)の名盤の数々を録音したスタジオらしい。
だが、当時の僕はそんなことはつゆ知らず、
ザ・スターリンのコピーに明け暮れていた。
その後、吉祥寺に移転したらしいが、
今でもGOKサウンドは健在である。

北口にあった音楽館(ちなみにロゴの「楽」は横になってる)は、
いつもドンヨリとしていていい感じのスタジオだった。
この当時のスタジオに多かった「アメリカンなウェストコーストなカンジ」というか
ウッドストックなカンジ」は微塵もなく、日本のアングラな世界。

その隣が「モルガーナ」ってライブハウスだった。
今もある。
当時は今の半分の大きさだった。

そうこうするうち、音楽スタジオやモルガーナ、
国分寺の「古着屋」って名前の古着屋でいつも見かけていた、
端正な顔立ちの男の子と仲良くなった。
僕が(そして吉本隆明も)観た、
83年のザ・スターリン立川38アベニュー公演の時に彼も現場にいたときいて、
意気投合した。

その名もダミアン!

もちろんアダ名だけど。
年は僕の一個下で、私立の高校に通っていて、
いつもベレー帽をかぶっていた。
そう、ちょうど丸尾末広の漫画に出てきそうな感じの美少年!

彼とも一緒にバンドをやった。
当然、ザ・スターリンのコピー!
ダミアンがベースで、僕はやっぱりボーカルだった。
彼とは、スターリンのコピー以外に、オリジナルもやった。
やっぱり僕はボーカル。
何故か、蝶ネクタイ、タキシードで歌っていた。

さらにその上、僕はソロ活動もしていた(浪人なのに・・・)。
その名も「善A(ゼンエー)」。
恥ずかしさ爆発!

アナログシンセCS30で出した音に風鈴の音を多重録音
(録音した音をラジカセなどで流しながらそれに合わせて演奏したものを録音・・・と言う原始的なスタイル!)
したテープをバックに、おもいっきり深くディレイをかけたギターを演奏!
そんな前衛バリバリなライブを数回、モルガーナで演った。

「善A」は、なんと自主製作でテープ
(テープを流しながら同時演奏したものをさらにテープに録音、と言う無限地獄みたいな作品)
まで作って発売した!
発売から数年後に三軒茶屋の「フジヤマ」にいったら、まだ売ってた。
まだ、あるかも・・・・

やり手のダミアンくんはモルガーナで企画もしていて、いろんなバンドを呼んでいた。
Che-SHIZUスーサイドザ・ラビッツなどなど・・・。
僕らのバンドがどことタイバンしたかは覚えてないが、年がら年中モルガーナにいりびたっていたのは確かだ。
でも僕、予備校にも通ってたんだよなあ。
恐るべき行動力?

国分寺に行くもうひとつの目的は、
駅前にあった「ブンジー」という貸しレコード屋だった。
そこは海外インディーズ、国内の自主盤など、宝の山!
愛欲人民10時劇場」!
ザ・ポップグループ!
ラフトレード
見たことないレコード満載!
中央線文化の懐の深さを思い知った!
それと比べて京王線の地味なこと・・・・。

浪人時代の、所在ない感覚。
でも、それが大人になった今でも、ずーっと続いているような・・・。