「TVジョッキー」生放送当日。
練習熱心な僕らは、
リハーサルの2時間前に日テレのある市ヶ谷に行って、
テレビ局近くの公園で稽古した。
本当は、僕はめんどくさかったんだが、H君はやりたがったのだった。
まあ、実際に手品をやるのはH君なので当然だったのだが。
スタジオは、思っていたより狭く、
ちゃんとした楽屋もなかった。
ライブハウスの楽屋みたいなたまりがあって、
そこで新人のアイドルさんたちと出番を待つ。
衣装も前に書いた通り学校の制服で、
家から着ていってたので着替える必要もなかった。
そして本番。
僕らのパフォーマンスは、
信じられないぐらいの万雷の拍手と爆笑の連続だった!
リハーサルの時から、
スタッフの好意的な態度はなんとなく感じていて、受けるんじゃないかと言う直感はあった。
にしても、まったく知らない観客の前であんなにも、うけるとは!
司会の土居まさるも相本久美子も爆笑してた。
ゲストの河合奈保子も「ウェデングベル」のシュガーも大笑い。
綿密なマーケットリサーチによって練り上げられた、
匠の笑いが受け入れられた!・・・と言うのは、まあ、全くの嘘っぱちであるが・・・・。
たぶん、最初は冷笑だったのである。
が、しかし、その冷笑が化学変化して爆笑に!
自分で書いていてもウソっぽく感じるが、
これはホントウなんである。
その証拠に、僕らは「ザ・チャレンジ」の時間を毎週勝ち抜き、
最終的にグランドチャンピオンになってしまったのだ。
賞品として、あのおなじみの白いギターは当然。
あと、ジーンズ、ウォークマンなんかを獲得!
それらはH君が換金して山分けにした。
ウォークマンだけは僕のものにした。
当時、羨望のブツであったウォークマンⅡ。
たかがカセット再生機が3万!!
ふたりで聞けるんだよね。
TV出演が終わると、楽屋や出口に花束を持ったギャルが殺到!・・・
・・・なんてことは、まったくなかった。
テレビ放送の次の日は学校は大騒ぎでチヤホヤ!!・・・
・・・なんてことも皆無だった・・・。
人気番組だと思っていたのに、意外とみんな見てないのだった。
インターネットなんてない時代だから。
でも勝ち抜いていくうちに
「すごいね」
ぐらいは言われるようにはなったが、
しかし三多摩と言ってもメガロポリス東京。
素人番組で優勝したぐらいではスターにはなれない。
むしろバカにされてたのかも知れない。
そして、翌年の正月。
歴代のグランドチャンピオンが集合する特番がはじまることになった・・・。
ところで、今まで誰にも言ってなかったが、
おそらく僕の中には、シュールなお笑いのカンジの原型として、
昔12チャンネルで見た『モンティパイソン』があったんだと思う。
『モンティパイソン』は今でこそ神格化されているが、
当時はそんなこと言っても誰もわかってくれなかった。
たぶん、僕らは「新人類」だったんであろう。
言っててコッパズカシイが、ホントウである。
高度成長期も終わった、80年代。
すべての価値観が新しくなっていた。
バンドもお笑いも。
「モンティパイソン」でやった、木の写真が出てきて一言
「カ・ラ・マ・ツ」
とだけ言うギャグ。
これが原点だ!!
「アナーキー・イン・ザ・UK」と一緒である!!