pegawa's blog

昔 ピープルという ビデオレンタル屋がありました 都築さまより<a href=http://roadsidediaries.blogspot.com/2009/11/blog-post_11.html>ビデオ・スターの死</a>

ラッパーズ 4イカ天


1989年 ラッパーズ - YouTube

 

大学時代に結成した僕のバンド、ラッパーズ。
だが、僕以外のメンバーはコロコロと代わった。
キング・クリムゾンの影響である・・・・
と言うのはウソだけど、なぜかメンバーが次々と辞めていくのだった。
頑張っても頑張っても、ちっとも売れないからか?
それとも、僕の音楽に対する態度がいい加減だから?
理由はきいたことがない。

メンバーが辞めると大学にいるウデキキの人間をツギツギにスカウトし、
辞めたらまた次の人間をスカウト。
これを繰り返しつつ、淡々と練習とライブを続けた。

そんな何人も代わったメンバーの中に、ジャズ畑のドラマー、Yくんもいた。
彼は、ジャズマンなのにナゼか気が合い
(昔のジャズマンはとにかく高飛車で、
ロックを馬鹿にしていた人が多かったのだ)僕らに付き合ってくれた。
MCをするのが大好きで
「ジャンジャンバリバリ出してマス!」
などと意味不明なパチンコ屋の店員の物まねををするのが
ちょっとヤだったけど、ドラムがうまいのでガマンした。
彼を連れてライブハウスにいくと、対バンのドラマーたちが、
こぞって彼を質問攻めにしていた。
叩き方が根本的に違うらしく、ロック畑の中、
ジャズマスターYくんはモテモテだった。

今でも現役バンドマンに
「あのころのラッパーズのドラマーはジョウズだったよなあ」
と言われる事があり、なんとなくくすぐったい。

あと、「へたくそ」ってバンドと掛け持ちで参加していたMムラくん!
僕にビッグマフの素晴らしさを教えてくれた!
辛いものが大好きで、いつも汗だらけだったのもよく覚えている。

それから、長崎出身の同級生Mツシタくんと、
Mツシタ弟&その友達たち!
Mツシタ弟とその友達たちは以前から長崎でバンドを組んでいて、
ベース、ドラム、ギターとパートが一通り揃っていた。
そんな彼らがバラバラに上京してくるので、
当時僕が住んでいた4畳半のアパートの部屋が空くと
彼らを大家さんに斡旋し、
ついでにラッパーズにも参加させのだった。
 (参照 ピープルと猫) 
その後、彼らは違うバンドで羽ばたいていったのだが、それはまた別の話。

 

そんなある日。
ラッパーズは、あの「イカ天」に出ることになった。
イカ天」こと「三宅裕司いかすバンド天国」。
時代はバブルもひと段落して、
世間ではボチボチ「景気が悪い」って言葉がささやかれ始めた頃。
89年よりTBSで放送された、
その土曜深夜のバラエティ番組は、
80年代中期のインディーズブームから始まっていた
「静かなバンドブーム」を一気に大爆発させた。
5週連続で勝ち抜くと「グランドイカ天キング」の称号と
メジャーデビューのチャンス(!)が与えられるのであるのだ。
要するに勝ち抜きバンド合戦だった。
が、演奏が駄目だったり、曲がつまらなかったりした場合、
審査員(萩原健太伊藤銀次などの音楽業界の大物以外にも、
何故かラッシャー木村などもいた。まあバラエティーだし・・・)
が赤ランプを押し、
その数が多くなると演奏VTRは強制終了と言う辱めを受ける。
ブランキージェットシティーやBEGIN、
たまなんかも輩出した人気番組だったが、イロモノも結構出演していた。
まあ、バラエティだし・・・。

その番組に、ラッパーズも出ることになったのだ
(と言うか、自分で応募したんだけど)。
番組自体は生放送なのだが、演奏は別日に収録なのだった。
ハリキッた僕らは、
近所の居酒屋にスポンサーになってもらって、衣装を新調。
当然、衣装のバックプリントはその店の名前入り!
どういう経緯だったか忘れたが、
収録時のラッパーズにはラップランドフリークスっていう知り合いのバンド
のヴォーカルも特別参加していた。
あれはナゼだったんだろう?
僕だけじゃサミシかったからかな?
僕の歌が下手だからかな?
よく覚えてない。
収録は和やかに終わった。

放送当日の生放送は日比谷のTBSに夜9時ぐらいに集合、
リハーサルなしでいきなり本番だった。
弁当は出なかった気がする。

Mムラくんが、
ジッタリンジンのヴォーカルって生意気そうでキャワイイよね」
と、楽屋で言ってたのが妙に記憶に残っている。
彼女たちも僕らと同じ日の出演だったのか、
それともビデオか別の日の放送を観たのか、それは覚えてないんだけど。

そして生出演。
僕は緊張のあまりシドロモドロになって、司会の三宅裕司に向かって

「社長、社長!」

と叫んでいた。
なにがなんだかワカラナイ。
僕の当時のバイト先の社長が三宅裕司に似ているっていうことを
伝えたかったのだが、緊張のあまり頭がショートしてしまった僕は、
すべてをぶっ飛ばして

「社長、社長!」

と連呼していたのだった。
苦笑いする三宅裕司
恥ずかしい・・・・。
「ラッパーズにはメンバーが100人いて、子供だけの子供ラッパーズもある」
なんて大法螺もふいて、スベった。
苦笑いする三宅裕司
恥ずかしい・・・・。
その大法螺は、あろうことか「イカ天」の公式本にも載って、
記録として残ってしまっている・・・。

で、肝心の僕らの演奏は、
あっというまに赤ランプが4連発でカットされた・・・。
審査員の評価は、全出演バンド中最低!
「スベっている」
「よく予選通ったよねって感じ」
「引っ込んでて欲しい」
「練習スタジオでやってる事を、そのままここに持ってきて欲しくない」
「客観性が無い」
とケチョンケチョンだった。
畜生、吉田建の野郎!ハゲのくせに!
Mムラくんのギターだけ
「ちょっとカッコイイような手触りがあったけど」
って褒められた。
まあ、フォロー担当の萩原健太が、
無理矢理見つけてくれた「いいところ」ではあったけど。
同窓生でレコード会社に就職した奴が
「出演おめでとう!」と言うファックスを送ってくれたのが余計悲しい・・・。
ちなみに、その日の新聞ラテ欄の煽りは
ラッシャー木村、大激怒!」
と書いてあった。
あれはもしかして、僕らが怒られる予定だったのだろうか?
でも別段、怒られはしなかったけどなあ。

ラッシャー木村は大人しいおじさんだった。

その横のゲスト審査員席にはナンシー関
テレビ番組の評論で有名な彼女だったが、
実はあれが数少ないテレビ出演だったらしい。
ナンシーさんには、特にほめられもけなされもしなかった。
テロップで、
次にやる予定のライブの宣伝
(対バンはマリア観音ー後に彼らも「イカ天」に出る事になるー、
琴桃川凛コンチネンタルキッズ!そうそうたるメンツで緊張した)
をして貰えたのが、唯一の救いである。

ちなみに、あの大島渚も同じ放送日に出演していた!
映画監督ではなく、みうらじゅんのバンドである。
審査員には

裸のラリーズっぽい」

と大絶賛!
演奏が強制終了させられた僕らは収録中肩身がせまかったけど、
生のみうらじゅんが見れたのはよかった。
みうらじゅんさんは、後に「イカ天」のスペシャルで

「ラッパーズさんたちは本番ではイキがっていたけど、
楽屋でタイヘンいい人たちで・・・」

って言ってくれた。
だって僕ら、普通の大学生のニイチャンだもの!

未明の放送終了後、みんなでタクシーに分乗して帰った。
タクシーの中、全員無言だった。
これが、ラッパーズの初めて(そして最後)のテレビ出演の顛末である。


イカ天」に出演した全バンドの中で、
突然ダンボールが一番かっこいいよね!

ラッパーズについては

ここ にも!

ちなみに

2014年8月2日 江川 くん祭り と題して

 ビックEのライブあり!

 桜台POOL

 へらちょんぺも出る!

 マジックくんとピアニカ君で

 ビデオピープルのドキュメント のパイロット版も上映!
 くわしくは ココ