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pegawa's blog

昔 ピープルという ビデオレンタル屋がありました 都築さまより<a href=http://roadsidediaries.blogspot.com/2009/11/blog-post_11.html>ビデオ・スターの死</a>

ラッパーズ 6 ガッカンライブ


ラッパーズ゙ in 法政 1989/09/09 - YouTube



80年代中盤に始まった、
サブカル誌『宝島』主体の大人が作ったインディーズブームは、
イカ天』を起爆剤とし、
80年代後半にはホコ天やライブハウスを中心にした一大バンドブームに発展した。
とはいえ、地道にライブやらメディアで顔を売って大手メジャーからデビュー、
という、昔ながらの芸能界的図式は変わらなかったけど。

世はバブル。
人気のあるアマチュアバンドがライブハウスで行う
ワンマンや自主企画で数十万のギャラが出るような異常事態は、
世知辛い今と違った。
実際、そんなライブや企画を月に数回やって生活してる者さえいたほどだ。

我がバンド、ラッパーズは、
残念ながら人気にも大金にもメジャーデビューにも縁がなかったが、
それでもその時代には1000人以上の観客の前で演奏した事があった。
忘れもしない、1989年9月9日。
当時の人気バンドであり、「バカロック」ムーブメントの旗手でもあった、
グレートリッチーズの前座として!

グレートリッチーズ(以下グレリチ)とは、元々個人的に仲が良かった。
車の運転もギターのチューニングもできない僕はローディーとも言えず、
楽屋のマスコット、ステージからのダイブ役として
よく彼等のライブでウロウロしていた。
あるときキーボードとしてメンバーに入らないかと誘われた。
ヤマハシンセ教室しか出てない僕は断ったが、
ヤマハキーボード教室に通えばいい、
お金はグレリチが出すからとまで言われた。
面倒なので後輩を紹介した。

スギウラくん。
今でも「杉浦フィルハーモニーオーケストラ」や
さまざまなアーティストのレコーディングやライブなどで、
イロイロご活躍のご様子

そんな彼らが法政大学学生会館、通称ガッカンでワンマン企画をやる事になり、
僕が参加していた演芸コンビ「マジックくんとピアニカくん」に出演依頼が来たので、
悪賢い僕は、バーターでラッパーズもつけたという次第。
なんてイヤなヤツだ!

ちょっと説明しておくと、ガッカンこと法政大学学生会館とは、
学生だけの力で自主運営されていた、法政大学市ヶ谷キャンパスのホールのことだ。
企画、製作、音響、照明が学生の手によって行われていた。
ロックコンサート以外にも、演劇、映画上映など色々な催し物があった。
学生が自主管理していたのである。
施設の鍵の管理から、企画の選択まですべて!
しかも採算度外視で!
伝説のパンクイベント東京バトルDAYSや、
ジョン・ゾーンやフレッド・フリスの公演などが有名だけど、
世間的にはまったく無名なミュージシャンが、
広いホールの中でたった数人のお客の前演奏することもあった。

僕は法政多摩一期生で市ヶ谷キャンパスではなかったが、
ガッカンにはお手伝いで出入りしていたのだった。

多摩キャンパスの同級生を連れて行ったとき
「ああ、ここは30年ぐらいではできない場所だなあ」
って言ってたのが印象に残っている。
歴史がない多摩キャンパスの僕らには羨ましかったのだ。
ガッカンについては、あの当時行った事がある人しかわからない、独特の雰囲気があった。
アレが真の自由だった。
もうなくなってしまったけれど・・・。

話戻ってガッカンライブ。
ザ・スターリン東京バトルDAYSもかくやという
1000人以上の観客でビッチリ埋まったガッカンのホールに、
出囃子のP-MODEL「アナザーゲーム」が鳴り響く!
その中を、クラフトワークに敬意を表して頭から工事用のカラーコーンをかぶり、
ホールの上、照明を当てるとこから僕は登場。
マイクはたしか当時出たばかりだったワイヤレスタイプ!
レンタル料すら高価だったワイヤレスマイクはすぐにスタッフに取り上げられたが、
僕は自前のマイクも持ってきていた。
当時、ザ・フーとリップクリームに憧れてマイクをグルグル回すことを練習していた僕は、
あらかじめいきつけのスタジオで壊れたマイクをもらっていたのだった。

そのマイクでグルグル。

壊れてるし繋がってないので音は拾わないのだが、
PAをビックリさせるために回したのだった・・・。
PAさん、たぶん、怒ってたろうな。

僕は、それがうけると思っていたのである。
バカである。
勝手に盛り上がった僕は、客の中に突入!
ビッチリすぎる客の下に入る隙間はない!

その上を僕は泳いだ!
グレリチ目当ての客は、僕ら前座には興味すらない。
「帰れ」「ふざけんな」という罵倒が、耳に突き刺さる。
なかなかの快感であった。

演奏後、ジミヘンなMムラくんはギターを叩き壊した。
さすがに火はつけなかった。
それから、客と握手していた。

なにはともあれ、
僕の中で最高の人間の前で歌った体験であった。
ラッパーズのあと、ちゃんと演芸も汗だらけでピアニカ吹いた。
着替えたけど。


その(グレリチの客が)熱狂のガッカン翌日は、原宿ホコ天でもライブだった。

バンドブームのもう一つの花がホコ天だった。
一時期は100バンド以上がひしめいていたと思う。
演奏場所の確保だけで、朝3時から!
場所取りを仕切ってる謎の団体(ヤクザ?)がいて、
それでほとんど良い場所は埋まってるという噂もあった。
それだけ出演バンドが多かったのだ。
客も多かった。
大金も動いていたんだろう。
ブームの終わり頃は、トレーナーを腰や肩に巻いた業界関係者も暗躍していたらしい。

前述した通り、
我がラッパーズは人気にも大金にもメジャーデビューにもトレーナー野郎にもヤクザにも縁がなかったが、
その日は友達のバンド「へたくそ」とのびのび演奏をした。
ただ演奏するのはなんなので、わざわざスモークマシンまで用意して。
本当はザ・スターリンやハードコアパンクの人たちがやっていた、消火器ブチマケをやってみたかったのだ。
ただ、あれはホントにやるとタイヘンなことになる。
いったい何度、消火器をガッカンホールでブチマケラレテ泣きながら片付けたことか・・・。
そこでスモークマシンである。
あれは冷たいんだな。

ポカポカ陽気の中、最前列で眠ってるお客さんめがけてピュシュー!
かけられた客はさすがにビックリしてたが、数万払ってレンタルした割には、あまり演出効果はなかった。

なにはともあれ、まったく意味がなくお金も歴史にも残らない。
まさにロックンロールな牧歌である。