pegawa's blog

昔 ピープルという ビデオレンタル屋がありました 都築さまより<a href=http://roadsidediaries.blogspot.com/2009/11/blog-post_11.html>ビデオ・スターの死</a>

レンタルビデオ物語 その13

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大学2年生になった頃、

後輩に紹介されてバイトをはじめた

レンタルビデオ店「DUNE」。

その本店が笹塚にあった「ピープル」だった。

1983年ぐらいから営業してたらしい。

開店当初のことはまったく知らない。

ただ、店の引き出しに、

たぶん開店して間もない頃のものと思われる、

一枚のポラロイド写真があった。

ビデオの本数も少なくて、殺風景な店内。

なぜか、僕は閉店までその写真取っておいた。

閉店のどさくさで、どっかに無くしてしまったけど・・・・。

 

「ピープル」は当時でもかなりマニアックな品揃いの人気店で、

すでにレアビデオになっていた『死霊のはらわた』も置いていた。

僕は「DUNE」勤務のかたわら、いつの間にか「ピープル」のほうにも

手伝いに行くようになっていた。

 

まだVHSベータマックスのシェア争いに

決着がついていない時代。

「ピープル」じゃ同じ作品をVHS とベータ、

両方とも揃えていて、

それも人気の秘訣であった。

まあ、店に置いてあったほとんどのベータは、

VHS をダビングコピーしたものだったんだけどね・・・。

 

統計によると、1984年には全国で2500店舗あったレンタルビデオ店は、

1987年末には2万店舗を超えていたという。

笹塚界隈にも

雨後のタケノコのように競合店ができて、

レンタル料金は一気に500円均一まで下がった。

が、まだまだ、2泊3日が最大で、

一週間レンタルが常識の時代が来るなんて考えもしなかった。

まあ、僕には1500 円だろうが500 円だろうが、

お金を出してビデオソフトを借りるという行為

自体が感覚としてよくわからなかった。

僕にとってはビデオソフトはいつもそこにあるもので、

レンタルビデオ屋はあくまで仕事だったから。

 

景気のいい時代だったからか、

ほとんどのお客さんは仕事が忙しく、

延滞する人がタイヘンに多かった。

まあ、景気のいい人だからこそ、

小金を使える時代だったんである。

かなりの延滞金を払って

またまた借りていく。

当時人気だったビデオソフトは

ゴーストバスターズ

グレムリン

トワイライトゾーン

パンツの穴

ベスト・キッド

アマデウス

ユー・ガッタ・チャンス

さびしんぼう

ランボー/怒りの脱出

台風クラブ

パリ、テキサス

などなど。

ハリウッドの大作ソフトなどは2本3本とVHSを入荷していた。

 

ほとんどの新作、特にアクションものは

かたっぱしから借りられて、順番待ちだらけ。

基本、予約はできないシステムだったので、

一日に何度も店に足を運んだり、

店に一時間おきに電話をかけてきたりするお客さんもいて、

バイト仲間ではこっそりそういう人たちを

「新作ゾンビ」と呼んでいた。

 

アダルトも百花繚乱!

メーカーは次々と増え、

仕入れたハシからレンタルされる!

棚のビデオケースが

ぜーんぶ「貸出中」なんてことも!

圧倒的に需要と供給のバランスがおかしかったのである。

だって、いままでテレビ放送しか見ることができなかったテレビで、

肌色が多いものが観れる!

これが、どんなに画期的なことか!

お父さんかお祖父ちゃんに聞いてごらん!

まあ、実際僕は家庭では

一回も観たことないけど・・・(V&Rをのぞく)。

 

ほぼ6畳一間しかない狭い売り場の店に、

店員2人詰め込まれテンテコマイで働いていた。

昼12時から夜中2時まで!一日14時間はザラ!

週7日ぶっ通し、休みなしで一ヶ月ぐらい働いたときもあった。

僕の時給も上がって800円ぐらいになっていたので

ある程度のお金はあったはずだが、

夜中にごはんを食べようと思ったら

当時まだまだ高かったコンビニ弁当

(ホンモノのビール付き、発泡酒

存在しなかったんだよ!)で1 回

2000 円ぐらいかかったし、

よく人に奢ったりして、

全然お金残らなかった。

深夜までバイトして外に出てみても、

その頃にはいまみたいに朝までやってる

居酒屋なんてなかったから、

友達が来るとコンビニ行って、

5000円以上は買い物してたような気がする・・・・。

ああ、あぶく銭。

まあ、一生懸命稼いだお金だったんだけど・・・。

なんか思いだしてるとイヤになってくる。

あの頃延滞金払ってた人もそうなんだろうなあ~。

 

まだ僕自身はビデオデッキを持ってなかった。

ハイファイはまだまだ10万円以上はしていたから学生には高嶺の花。

仕事中も店が忙しいから観れず、

休みもあまり無いから劇場にも行けず・・・・。

たぶん、あの頃のレンタルビデオ店で働いている従業員は

ほとんど映画を観てなかったのでは?

サンプルなんて存在しないし、

仕入れ値が一本2万近くしてたので、

同じタイトルを2本以上仕入れることは

ハリウッドの大作以外ほとんど無かったから、

借りて帰るなんて新作はもちろん旧作も無理だった。

たとえ家にデッキがあったとしても観れなかっただろう。

 

そういえば、レンタルビデオが人気になる前は貸しレコードが人気だった。

80年台初頭は町のアチコチに小さな個人店の貸しレコード屋があって、

高校生時代は国分寺の店によくバイクで行ったものだ。

そこは、ラフ・トレードレーベルなどマニアックなインディーズの輸入盤や、

日本の自主制作レコードなどアングラなものもレンタルしていた。

1980年代後半、気がついたら、

町から個人経営の貸しレコード店はほとんど消えていたのだけど。

 

レンタルビデオの人気は永久に続くだろうという

根拠の無い思いがあった。

そんな、皆が地面から3ミリほど宙に浮いていたバブル時代。

LDやVHDなんていう新しいメディアもビデオテープの前では敵ではなかったし。

ビデオテープは簡単にダビングできるのも、人気の秘訣だったと思う。

実際、人気の新作を借りる順番待ちが面倒くさくて、

新作ほぼ全部ダビング依頼するお客さんまでいた!

 

そんな20歳ぐらい。

ほぼバイトバイトバイト!

気が付いたら、国立のほかに笹塚にもアパートかまえていた。

家2個あったんだ!!

あんなに働いても働いてもお金が無いはずだ!

それは、バイトしてもしても追いつかない・・・・。

 

それから、少し経った頃、僕は笹塚「ピープル」本勤務になった。

昇進だったのか、単に人がいなかったのか。

仕事の忙しさは「DUNE」とはダンチだった。

 

もう、すでに笹塚「ピープル」はマニアックな品揃えの人気店だったのである。

これ大事な点なのでもう一回言いました。

だって、1980年代だよ!

まだまだ、インターネットも無い時代。

ユーチューブも無いし、アマゾンもない!

テレビだってブラウン管!

電話機だって、まだまだダイヤル式!

そんな時代になかなか先見の明。

ミツバチのささやき

フリークス

勝手にしやがれ

ルイス・ブニュエルの黄金時代

などをそろえていた。今でもなかなかのラインナップだと思う。

だって、一番人気あったのは『トップガン』の時代だよ!

まあ、「ピープル」でも大人気だったけど・・・。

何十本(何百本?)ダビングしたことか・・・・。

当時の独身サラリーマンやボンクラ大学生の2人のうちひとりは

トップガン」のビデオもってたんじゃないかな?

まあ、想像だけど。

 

何年か「DUNE」と行ったり来たりしながら、

気が付いたら、「ピープル」の店長になっていた。

 

元号が昭和から平成に変わった時のことは、よく覚えている。

朝、元号が変わることを知って、

休みだったのを慌てて店に駆けつけた。

案の定、大忙し!

あの狭い店に昼間から、常時10人以上のお客さん!

そんなクソ忙しい時に一見のお客さんが

「お勧めは?」

と聞いてくるので

「家でテレビでも見てれば?」

と半ギレで答えたりして・・・・。

 

その頃は半日、半日、通し、休み、

みたいな勤務形態。

「学校?ああ・・・そんなものも・・・」

って感じで、大学にはまったく通ってなかった・・・・。

市ヶ谷にはタマに行ったけど。

なんだろう?

あの頃。

何も考えてなかったんだろうなあ。

 

朝起きて、店に行く前

必ず駅前のレコード屋に寄って、

ほぼ毎日、CD買ってた。

たまに、下北沢、新宿。

そのくらいしかお金使わなかった。

新しく買ったばかりのCDのキャラメル包装を

店でピリピリ破いて聴くのが一番の楽しみ。

そういえば、「なんのCDですか」ってお客さんに聞かれると、

どんどん貸していた。

それもタダで!

あの時お金取っていれば・・・。違法だけど・・・。

CD、半分も返ってきてないなあ~たぶん。

今、コレ読んでる人でも

「ピープル」のノロイのCDがオウチにあったりして。

 

あまり劇場には行かなかったが、

たまには友人と連れ立って、ミラノ座などに。

気持ちの余裕ができたのと、バイトのシフトが楽になったせいだった。

 

だけどまさか自分がピープルの経営者になるなんて思ってもなかった。

まあ、「なれたらいいな」って思ってなかったことも

なかったが。

まあ、その話は、また別の機会に。