pegawa's blog

昔 ピープルという ビデオレンタル屋がありました 都築さまより<a href=http://roadsidediaries.blogspot.com/2009/11/blog-post_11.html>ビデオ・スターの死</a>

レンタルビデオ物語 14 

1995年、7月。

僕は、いきなりレンタルビデオ店「ピープル」の経営者になった。

 

その前から

「自分でやってみたいなあ~・・・」

ってボンヤリとした気持ちはあった。

若者特有のなんとかなるさ的なファイトと、

役に立たないバブル時代のイケイケな体験から、

自分でもやっていけるんじゃないかという、未成熟で根拠のない自信も。

 

 

まあ、実際は「いきなり経営者」になったわけではなく、

それなりの紆余曲折があった。

 

はっきり「何年」って事は忘れてしまったけど、80年代の終わり頃、

僕は一度「ピープル」から半年ほど離れてしまっていた。

当時の雇われ店長と折り合いが悪く、なんだかイヤになってしまったのだ。

ある日、無断欠勤したのをきっかけに、そのままバックレたというありがちなパターン。

店からの電話をとりたくなかったので、国立のアパートにも笹塚のアパートにもほぼ帰らず、

友人知人ガールフレンドの家を転々としながら、半年ほどたった頃。

どこでどうしてかは忘れたが、オーナーのTさんから

「あいつ(僕と折り合いの悪かった店長)辞めたから戻って来い。

新しくKっていう店長を雇ったのはいいが、ビデオのことを全然知らないので、

エガワ君に補佐してほしい」

という連絡をもらって、復帰したのだった。

 

それから数年働いた頃、

その「ビデオの事を全然知らない」雇われ店長だったKさんが「ピープル」を買って、

経営を引き継いだ。

「DUNE」の売上が悪くなったので閉める事にしたオーナーTさんが、

ついでに「ピープル」も手放したのだ。

都内に家1軒買えるぐらいの金額なので、当然、毎月数十万円のローン。

毎月毎月、数十万円を返済するのは、なかなかタイヘンであった。

当初、オーナー兼店長として店に出ていたKさんだったが、

しばらくするとより稼げる別の仕事に就き、流れとして僕が店長に。

まあ、その前から、実質的な仕入れなどは僕がやっていたんだけど。

 

90年代に入ってから、目に見えて、毎日マイニチ、毎月マイツキ、売り上げは下がっていった。

というか、今考えてみると、あの80年代の売り上げが異常だったんだけど。

たいした努力をしなくても、ちょっと目先の仕入れをうまくやっただけで莫大な売り上げ!

そしてこれまた、みんな気前よく延滞するので莫大な延滞金!

90年代に入ると、それがガサーっと減った。

でも、まだまだミニシアターブーム。

細かい映画作品が多いので仕入れはかさむ。

ビデオ屋はどんどん儲からなくなっていった。

そういや「ピープル」は、初代オーナーのときは株式会社、

2代目オーナーのときは有限会社ときて、

僕に経営権が移ったときには個人経営の自営業、と順調に規模が縮小していったんだった。

Kさんの「ピープル」は他のレンタルビデオ屋と業務提携するというオハナシもあったが、

それも流れた。

まあ、ケンカ別れだったようだ。

最終的に、Kさんは店を潰すことを考え始めたのだが、

そこで3代目オーナーの名乗りを上げたのが僕なのだった。

 

こうして思い返してみると、「いきなり経営者」になったわけじゃなかったね、やっぱり。

 

 

さて。

僕に同じ条件で買えるワケもなく、Kさんにはかなり負けてもらった。

頭金を数百万払うことにして(当然借金)、あとは毎月ローン。

まあ、維持を意地で成したわけである。

 

銀行回りは楽しかった。

会社勤めはもちろん、就活も未経験の僕にとって、背広を着るのはコスプレみたいで。

「ピープル」の実績を知っている近所の信用金庫は

「エガワさんが店やるんだったら、是非、融資しますよ!」

と言ってくれた。

で、公的機関に新規事業融資斡旋の書類を発行してもらい、手続きをしようとした矢先、

その信用金庫が潰れた・・・・・。

 

オハナシは白紙に戻った。

他の融資先を知らない僕は、飛び込みでいろんな銀行を訪ねまくって、断られまくった。

手詰まりになり、最終的に、音信不通にしていた親に頼んで、某大手銀行を紹介してもらった。

開口一番、その某大手銀行の融資担当者はこう言った。

「まず、うちの銀行は中小さんには融資はしないんですが・・、

まあ、○○さんのご紹介ということで」

顔から火が出る思いだった。

実際は親の紹介というよりも、親の部下だった方の紹介なのだった。

最初は一人で何とか出来るつもりだったが、結局親に頼ることになっただけでも、

恥ずかしくてイヤなおもいだったのに。

そんなこんながありつつも、公的機関による新規事業融資斡旋の書類で、融資は通った。

あとは、コネ・・・・。

 

その父の部下の人は、融資が決まった時、お祝いに店に訪ねてきたが、

あまりに小さくて薄汚れたいかがわしい店に、ビックリしていた様子であった。

アダルトを扱っていることも知らなかったようだ。

 

結局、融資してくれた大手銀行の担当者は一回も店には来なかった。

ただ、融資の担当者はアダルトをやってることは知っていたので

「もっとマニアックになったほうがいいですよ。例えばSMとか」

なんて言っていた。

SM好きだったんだろうなあ~。

 

公的機関の担当者は

ウルトラセブン』でくいついたんだった。

まあ、店には『セブン』のビデオは無かったんだけど。

 

融資されたお金は右から左に。

お金を掴む人は掴む。

 

お金の事は、思い出したくもない・・・・。

 

今思えば、2代目オーナーのKさんも、そんなに裕福な感じではなかったなあ。

初代オーナーTさんも、その後どうなったのか・・・。

「ピープル」初代オーナーTさんの時は株式会社で、

登記してある住所はお店になっていたので、

その後、税務署だの銀行だのから、

いろいろな問い合わせがあった。

どうも、どこも彼とは音信不通らしかった。

最盛期はBMWなんかに乗っちゃって、

いかにも実業家にありがちな感じだったのに。

 

兎にも角にも、僕は一国一城の主となった。

金はない!

でも気分は高揚していた。

 

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