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pegawa's blog

昔 ピープルという ビデオレンタル屋がありました 都築さまより<a href=http://roadsidediaries.blogspot.com/2009/11/blog-post_11.html>ビデオ・スターの死</a>

店番の日記

レンタルビデオ「ピープル」の経営がそろそろヤバくなってきた頃、僕の一日はこんな感じだった。
 
 
朝…とは言えないか、とにかく起床後、開店時間の昼2時に来て、のそのそ階段を上がり、映画やバンドライブのチラシがベタベタ貼ってある(ドアは営業中開けっぱなしで表側は隠れてしまって見えないので、宣伝効果はあまりないのだが)ドアを開ける。
 
ドアを開けると、入り口付近にビデオやDVDがケースが落ちて散乱している。
ドアの返却ポストに入れられたものである。
ドアの内側にはクッション代わりの寝袋。
アルバイトのスドウくんがいたころ、彼がお泊り用に使っていた物だ。
 
ドアの裏(つまり営業中、一番最初にお客さんの目に入るところ)には、ザ・スターリンのアルバム「虫」のポスター。

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僕が高校のときに手に入れたものか、お客さんの誰かにいただいたものか。
僕の経営になってから20年は貼ってあったので、まあボロボロだった。
あのポスター、どこにいったんだろう。
 
ドアに貼ったチラシの類は、よく「汚い」と大家さんに叱られて、シブシブ剥がしていた。
僕は店に上がる階段にもポスターとかチラシを貼っていたのだが、汚く剥がれたりするので、やはり大家さんに文句を言われていた。
まあ、それはそうであろう。
放火でもされたら大変。
大家さんは店内の僕の過剰なデコレーションにも苦虫顔であったが、さすがに店の中までは文句は言わなかった。
まあ僕も気を使って、店内でも外からすぐ見える入り口付近のスペースはなるべく綺麗にするようにはしてた。
「なるべく」ではあったけど。
 
入口を入って右手は、物件に備え付けだった靴箱。
中には入会時に使う書類や会員カード、いらないビデオテープケースなんか(ベータとか・・・)が入っていた。
 
その上はコルクボード。
一時は熱心に劇場に観に行ってた映画の感想や、これから出るソフトの紹介などを貼っていた。
資金繰り(主に家賃だが)が苦しくなってきた頃には、そのコーナーはほとんど見ないようにしてたのだけど。
閉店間際には、新しいソフトは月一本入れるのが精一杯だったからである。
まあ、新作を月一本きりしか入れないレンタルビデオ店なんか潰れるわなあ・・・。
 
そんなこんなで、店が無くなる直前のコルクボードコーナーには、雑誌「噂の真相」に出していた広告のコピーだけが貼ってあった。
広告には「セックス・ムービー・ロックンロール」、その下には「祝!セックスピストルズ来日」と書いてあったような。
お友達で今も昔もバンドメンバーでもある、ショウジくんのデザイン。
その広告の出ていた「噂の真相」を探してみたのだが紛失したみたいで、別の広告を載せた号しか無かった。
「早く来いDEVO」。
今考えると、一体なんの広告なんだか。

 

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僕が経営者になった最初の頃は好景気で、ソフトメーカーが宣材で作るポスターもデカくて、気前よく次々と送られてきていた!

バブルがはじけた後も、しばらくは「ひみつの花園(1997)みたいなイマイチ売れなかった映画のソフトにも、横3m近くある横断幕なんかを付けてくれた。
その横断幕、階段に貼りだしたら、その日のうちに盗まれた。
マイナー作品ではあったが、主演の西田尚美はその当時「ノンノ」の人気モデルだったからかなあ。
ちなみに「ひみつの花園」は、ピアフィルムフェスティバルで賞を取った矢口史靖監督が東宝2作目に撮った作品。
僕は、建て直す前の新宿ピカデリー4で観た。
昔の新宿ピカデリー4っていうのは元雀荘を改装したショボい劇場で、キャパは40人ぽっち、スクリーンのカーテンが開くと、あまりの画面の小ささに笑い声が起きるという酷い所だった。
よくあの当時の東宝は、そんなマイナー映画のビデオ化によくぞそこまでチカラをいれたものだ。
矢口監督はのちに「ウォーターボーイズ (2001)でスマッシュヒットを放ったが、実はその間に何本か撮っている。
完成させられなかった作品もあるらしい。
大してヒットしなかった「ひみつの花園」でさえそうなんだから、ブラピ主演の世界的メガヒット「セブン」(1995)がソフト化されるときなど、FBIが使うような立ち入り禁止リボンロールなどいろいろ入った装飾セットを、ソフトメーカーは段ボールいっぱい送ってくる力の入れようだった。
あったなあ…店内装飾用キット!大好きだった! 店が派手になって!
たった一本づつしか入荷しないうちみたいな店にも、メーカーはそんなキットをふっとぱらにくれていた。
ちなみにその頃、ヤフオクなどのインターネットオークションが始まり、業務用のポスター等、宣材を売りに出すヤカラがいっぱいいた。
だからいまだに、ネットオークションは虫が好かない。
同業者でそういうことしてる人はいなかったと思いたいが、怪しい人はいたなあ。
うちに出入りしていた問屋さんがヤフオクの素晴らしさを語っていたけど、もしかしたら・・・。
でも、そのうち、メーカーから送ってくるポスターは見る見る減ってきた。
どう考えても、1本しか仕入れてくれない店より、10本…いや100本入れるツタヤなんかに送ったほうがいいに決まってる!
零細企業ピープルは、仕入れが毎年、逆倍々ゲーム的に半減、問屋への入金も遅れ気味だった。
しょうがないので、業界誌に出ている新作案内の広告を切り取って、店に貼ったりしてた。
なんかいま思い出すと悲しい。
閉店間際など、昼は別のとこで働いて夕方から店を開けるダブルワークだったので、ポスター張りに精を出す余裕は無かったけど。
ヘトヘトで。
ポスターとか張り紙の話が長くなってしまった。
まあ、そんなこんなで店を開けて、まず、返却されたビデオソフトをカウンターにひとまとめ。
タバコを吸ってたころは、そこで句読点に一服してた。
あ、朝の大事な行事に、コーヒーカップ持って近所のモスバーガーに朝の一杯を買いに行くというのがあった。
不用心だとは思うが、店を開けてからお出かけしていたのである、近くだし。
毎日一人ぼっちで店番だったので、朝にモスの店員さんと他愛もないオハナシすんのが楽しかったなあ。
先にモスバーガーが潰れたけど。
それからは朝、駅前でドトールコーヒー買ってた。
無駄づかいだったなあ。
ランチに凝ってた時もあった。
ちょっと早く起きて、近所のスナック、隣の博多ラーメン。駅前のうどん屋、洋食屋。
洋食屋以外は全部つぶれた。
2時開店になる前は12時開店だったから、11時半に行って食べてた。
まあ、11時半にランチ食ってると12時開店には間に合ってなかったんだけど。
2時に店を開けて、コーヒー飲んでいても、客が誰一人こない・・・。
12時開店だったころは、近所の工場の工員さんが昼休みに暇つぶしがてら毎日覗いてくれた。
あと、歌舞伎町風俗案内のにいちゃん。毎日、歌舞伎町で風俗を探す客が納豆くさいと怒ってた。
吉原ソープで働く御姉さんも、白い毛むくじゃらのちっこいワンコ連れてきてたなあ。ノーメークで、たまに腹巻すがたの角刈り恰幅のいいパパ連れて。
新宿西口海賊版屋のお兄さん。ジミー・ペイジが来日する前は、忙しそうだった。
ディスクユニオンのおにいさんは、セール前はイライラ。
新宿2丁目の優男は、店には来るけどいろいろ言って絶対借りない。
毎日来る、無職の三十代。毎年センター試験を受けていた。40になっても。
2005年ぐらいから、そういう胡散臭い人はめっきり減った。
というか、客の絶対数が減ったのだ。
客が来ないので、テレビでワイドショー見ながら昨日の売り上げ計算。
コンピューター内蔵レジはずいぶん前に壊れたから全部、手動である。
伝票もただの2枚複写。
 
1泊用と1週間レンタルをわけて。
90年代には50枚綴りの伝票を2日で使い果たす事もあったのだが、ゼロ年代以降は1週間ぐらい持つようになってしまった。
最終的には、伝票未使用の日も!
伝票未使用ということは、貸出がまったくないということである。
ただ、最後まで売り上げ無しの日はなかった。
売り上げの最悪記録は、延滞1200円のみの日!
延滞金が発生して、かろうじて売り上げがたったという・・・。
これで「もう店を閉めよう」と観念した。
家賃15万だから、単純計算で一日の売上が5000円以上なければ、家賃にもならない。
 
開店時間を午後2時にして以降、あまりに誰もこないので、作業が一段落した3時頃、昼ご飯を買いに行く名目で外出するようになった。
最初はキチンと鍵しめて、「ちょっと外出します」の張り紙をして、近所の文房具屋さんで自転車借りて。
昔は資金繰りの件で信用金庫いったりしてたので。
そのうち、開けっ放しで「すぐもどります」の看板をカウンターに置いて。
そのうち、店開けっ放しのまま、張り紙も何もなしで、近所をフラフラし始めた。
ゾンビ。
駅前行って、コーヒー飲んでたりしたころは流石に自分でも「これはマズイなあ…」と感じてた。
駅と逆のほう住宅街をフラフラしてるときは心が和んだ。
なにも解決しないけど。
店いないと売り上げに何もならないけど、誰もこない店にはいたくない、逃避行な気持ち。
 
で、帰ってきてお客さんいるとビックリしたり。
お客さんもビックリしたり。
30分待ちました。」って言われたり。
ダメだこりゃ。
 
気が向いたら、階段の掃除。
モップ借りて本格的に水浸しにしてみたり。
表掃いたり。
雪なんか降ると大喜びで雪かき!
でも店内の掃除はあんまりしなかった。
特に店の床にビデオパッケージを直に重ねて置いて、足の踏み場もないようになったころは物理的に「ちょっと掃除」が無理になっていた。
諦観の精神。
 
昼間の暇な時間にちゃんと品出しの仕事をすることもあった。
ゼロ年代になると、そんな作業は週一もなかったけど。
ソフトの主力がビデオテープの時代はまだ、パッケージシュリンクしたり、映画の紹介文書いたり、パッションがあふれていたんだ。
DVDになってからは・・・昔話ばかりしてた・・・。
後ろ向きになってDVDの新しい仕入れのことを考えず、昔はよかったってことを、大量のビデオテープを前に自問自答してたのである。
ダメだなあ。
 
午後4時過ぎると、本格的なヒマ人がお客さんとして代わる代わる来店するようになる。
店に入ると、2時間3時間物色している人もザラ。
その時間帯だと、まだ僕は現実逃避の散歩をしていたりもしたのだが、僕がいなくても気にせず物色しているので問題なし。
狭い店でじっくり品定め。
僕は(店にいれば)カウンターの裏でのんびり。
じろじろ見てもしょうがないし、盗られるものもそんなにないし。
店内はレンタルのパッケージ以外にも売り物のTシャツ類、CDなんかも置いていたけど、不思議と万引きはなかったなあ。・・・多分。
まあ、きちんと在庫管理していなかったのだが。
ついこの前「貴重本を入荷したら、全部盗まれる」という夢を見た。
いまさらのように不安になったが、もしかして万引きってあったのかな?
販売用アダルトDVDシュリンク包装だったので中身入りのまんま店頭に出してたけど、ごっそり減ったことはなかった。・・・と、思う。
万引きしがちな年頃の中高生ボーイズ&ガールが来なかったから、店をやってた時はあまり不安な気持ちにはならなかった。
学校で「あそこ行ったらダメ」と言われているような、パブリックエネミーショップだったのか?
僕の店は元過激派シンパのバンドマンさんからも「恐ろし気な店だった」と言われていたし。
笹塚が実家だったという人と話すと、たいてピープルの存在を知ってるけど「フツウのビデオを扱ってた」というと、ビックリされる。
 
あ、もう夕方だ…。
今日も客がろくすっぽ来ないうちに、夕陽が沈む。
夕陽が沈む、イコール金融機関が閉まる。
ということは、返済の催促の電話が来なくなる時間なのでひと安心。
あ、だから、僕ゾンビになってたんだ…。
そう、あの頃、僕は借金まみれだった(またその話は別の機会に)。
いい電話なんかなかった。
 
基本、一日中自問自答してた。
 
夕方すぎると、なにもしなくても腹は減る。
近所の弁当屋で、揚げ物系。
なにも言わなくても大盛にしてくれた。
太った。
ストレスを食欲で解消していたんだと思う。
 
お酒は、お店ではお正月とお祭りの日以外は飲みません。
それだけは、ラインがあった。
当たり前だけど、よくやったと思う。
飲もうと思えばだれも止めない。
自営業者の怖さ。
なるべく、表に出て近所の人とおしゃべりしてたのも、その抑止力かも。
 
7時に、夕ご飯食べてからが長いんだ・・・。
テレビを見たりしていた。
一番多いのが「男はつらいよ」シリーズの永遠ループ。
全巻、20回づつは見た。
というか、聞いてた。
今でもセリフは大体覚えている。
役にはたたないが。
もっと、他にいくらでもあるビデオソフト見ればいいんだが、集中力が続かなかった。
店に来た友達は、狭いカウンター後ろで一日中、アニメや映画観てたけど。
すごいなあ。関心する。
映画は、毎日一日一本を自宅に帰って観ることを自分の決まりにしていた。
40すぎると、観ながら寝落ちしてる時間がながくなったりする・・・巻き戻し巻き戻し。
 
7時すぎると、少しは忙しくなる。
誰も来ない日もあるけど。
910時になると、酔客もチラホラ。
基本サラリーマンが多かった。
笹塚は、新宿からすぐの、チョンガーのベットタウンだし。
酔ってる人に入会の説明は大変だった。
借りるのは大抵、というか絶対アダルトだし・・・。早く借りて帰りたいだろうし。
 
真夜中12時過ぎると、街も静かに。
そうするとまた、僕はゾンビになってフラフラしたりしていた。
深夜、店来て店員も誰も居ない店。
怖かったろうなあお客さん。
 
夜中1時が閉店時間。
でも、閉店間際、1250分にお客さん来ることもあった。
そのまま、110分、130分。
僕も急がないから、ぼんやり待ってるけど。
大抵一本は借りてくれたけど、2時近くになって、気が付いてたら帰っていたときはショックだった・・・。
 
トボトボ帰宅。
大昔、景気の良かった時代には、大金を夜中に持ち歩くのは危険なので売り上げを銀行の深夜ポストに投げ込む習慣もあったけど、その頃は逆の意味で危険なぐらい売り上げが無く、深夜ポストには縁がなかった。
近所の深夜自動販売機でビールを買ってご帰宅。
 
ゼロ年代になってから、水曜を定休日にした。
火曜の夜は楽しみだったなあ。
それまでの数年間、バイトを雇う余裕がなくなって以降は、無休で365日、昼2時から夜中2時まで、延々一人でやってたから。
 
さあ、明日もがんばろう。
とは、毎日、思わなかった。
だから、やっていけたと思う。